アイドルネッサンスへの初恋を葬る
2018年2月24日、アイドルネッサンスが解散しました。
モバイルサイトから"大切なお知らせ"と書かれたメールがきて、体中の血液がぜんぶ足元に集まっていくような立ちくらみがして、
そして最初に思ったのは、あぁ、もうあの子たちの今の、歌って踊って泣いて笑いあって、そんな当たり前だった奇跡みたいな毎日は終わってしまうんだ、っていうこと。
もしかしたら、ただただこの日々よどうか終わらないでと、痛いくらい祈っていたのはわたしたちのほうだったかもしれない。
【ライブレポート】アイドルネッサンス、青春捧げた4年間に感謝を込めて(写真75枚) - 音楽ナタリー
でもこの日はきてしまった。
入場するときに配られたカードはメンバー全員が1枚1枚すべて直筆で書いたメッセージで、
最後まで音楽に対しても何に対しても、愚直なまでに、と言いたくなるほど真摯でていねいな、大好きなアイドルネッサンスだった。
真っ白な制服に身を包む8人は、少女としてまぶしいくらい正しくて、夢のように美しくて。
目の前に生きているのに、あまりにもきれいすぎて、つい正しさ美しさをもっと求めたくなってしまう自分に常に罪悪感がありました。
そして向き合えなくて目をそらしていました。
だから理子ちゃんが最後の挨拶、そして最後のブログで「二度と戻らない時間を捧げてきて、アイドルネッサンスのコンセプトゆえに悩むこともあった」と言ったとき、ふいに刺されたみたいな気持ちだった。
アイドルネッサンス 公式ブログ - ~アイドルネッサンスのすべて~ 石野 理子 - Powered by LINE
理子ちゃん。
わたしなんかはどうしてもその歌声やたたずまいから、 理子ちゃんのことを神格化してしまいたくなるけれど、
アイドルネッサンスの中にいて恋の妄想にきゃーきゃーしたりする理子ちゃんは本当に普通の女の子で、そんな"アイドルネッサンスの石野理子"が大好きでした。
のあちゃんが最後のブログで理子ちゃんのことを生きづらそうだと表現していて、たしかにやっぱり理子ちゃんは特別で孤独かもしれない、
でもそんな理子ちゃんを「石野ー!」って笑って手招きしてあげられるのは、今はまだ、きっとアイドルネッサンスだけだと思う。
わたしはMVにたびたびある、みんなで理子ちゃんを出迎えるシーンが大好き。
のあちゃん。
いつだか、ライブのMCで「みなさんは楽しむ気持ちだけ持ってきてください」と言っていた力強いまなざしが忘れられない。
のあちゃんは、最年長でリーダーなこともあってか、みんなより少しだけ心のかたちの身長が高い感じがしていました。
ひとりだけ、まだ他の子には見えてない塀の向こうが見えているような。
6人になったばかりの頃はちょっぴり気負っているようだったけど、すぐ本来のやわらかさが戻ってきて、それがすごく好きでした。
普段は飄々としているように見えるときもあって、でもひとたび感情が決壊すると誰よりも子供みたいに泣きじゃくっていたのあちゃん。
ラストライブの最後の挨拶でもそうだったね。
愛おしくてたまらなかったよ。
まりんちゃん。
初めて見たとき、この子大人になったらものすごい美人さんになる……!って確信した。
実際にまりんちゃんはみるみる美しくなっていって、ほらわたしの思った通りじゃん!ってなぜか誇らしくなったりした。
まりんちゃん自身もアイドルが大好きだからか、いつでも"ようこそアイドルネッサンスへ!"って両手広げて受け入れる準備してくれてるみたいな安心感を勝手に抱いてて、
まりんちゃんが大きく口を開けて笑ってるのを見るのが大好きでした。
たしかに年齢より大人びて見えたけど、お姉さんたちから もーしょうがないなぁまりんたんはー! って甘やかされてるときも多々あって、かわいくてかわいくて。
最後の挨拶、メンバーへの絶叫にも近い「好き……っ!!!泣」かわいすぎて笑っちゃったし涙があふれてしかたなかったよ。
ラストライブで75曲目の名曲ルネッサンスとして最初で最後の披露になったこの曲の歌い出しが、17才と同じまりんちゃんなことに胸を打たれてしまった。
そしてこの曲に初めて振り付けをした、みんなの太陽なっこちゃん。
ラストライブでさらに新しい可能性を掲げてくれたことに、今までの4年間の、そしてこれからへのプライドを感じました。
アイドルネッサンスで凱旋するまでは沖縄に帰らない、と花が咲くような笑顔の裏に強い決意を秘めていたなっこちゃん。
でもその願いはついに叶わなくて。
たまたま家族旅行で行く機会があって軽い気持ちで沖縄についてたずねたわたしに、
ぱぁっと目を輝かせて短い時間に詰め込むようにたくさんお話ししてくれたなっこちゃんのうれしそうな顔、今は思い出すと少しチクリとします。
なっこスマイルに誰よりも救われていたのは他でもない、いちばん身近にいたアイドルネッサンスのみんなだったんじゃないかなあ。
こよちゃん。
今まで何度も素通りしていたはずなのに、アイドルネッサンスが歌うことによって初めて意味を与えられ心に届いた音楽が数えきれないほどあって、
そんなときわたしは頭の中にこよちゃんが浮かんでいることが多かった。
自分がわからなくなって、震える声で、みんなにたすけてほしい、と言ったこよちゃんのこと。
迸るネッサンスのドキュメンタリーに収録されていたあの出来事を、見てしまって良かったのか、知らないままでいたかったのか、いまだにわかりません。
ここ数ヶ月の間に急にこよちゃんが大人の女性になってしまった気がして、
あぁ、いつまでもこよちゃんを制服の中に押し込めていることは出来ないんだなぁって思った。
最後の挨拶でお空の伝道師こよちゃんが復活して、久しぶりにまりるー!してくれて、なんだかこよちゃんが大丈夫だよって言ってくれてるみたいでした。
自分で話したことに自分で面白くなっちゃって手叩いて笑ってるこよちゃんが大好き。
野本ゆめかさんは最高。
最高なんですよ。
そしてゆめかちゃんと同時に新加入したすずかちゃん。
わたしはこのふたりが大好き、だってこのふたりに運命を感じずにはいられないでしょう……!!
思考をこねくりまわしすぎてしまうようなところのあるすずかちゃんと、まっすぐすぎるほどまっすぐに「ゆめはスーパーアイドルだよ!!みんなのヒーローだし!!元気な中学生だよ!!」というゆめかちゃん、
そんな一見正反対なすずゆめコンビが同い年で、候補生として出会って、一緒にアイドルネッサンスに加入して、同じ季節を過ごしたという事実、さすがに尊いと言わせてほしい。
そして最後に、まいなちゃん。
まいなちゃんに関しては、"推し"っていうより"好きな子"って言った方がしっくりくる。
歌もダンスも未経験で、何も出来ないけどブログを書くことは出来る、って、4年間毎日欠かさずその日に撮った写真とともにブログを更新したまいなちゃん。
金曜日はTwitterに「金曜日のおはよう」動画をアップして、毎日おやすみ動画をLINEにアップして。
すべてをアイドルネッサンスに捧げてきました、と言い切るまいなちゃん。
ラストライブ、最後の挨拶でまいなちゃんが「自分がいちばん自分らしくいられる場所がアイドルネッサンスだった」と言ってくれたのが本当にうれしかった。
大好きなまいなちゃん。
みんなの挨拶を聞きながら涙を流すまいなちゃんが、どんどん生まれたてみたいな無垢な表情になっていって、透き通るようで、なんてきれいないのちなんだろうって思った。
最後の最後のステージからいなくなる瞬間わたしの目に焼き付いた残像は、まいなちゃんのあのかわいくて大好きでたまらない笑顔で、良かった。
羽根が生えてるみたいなダンス、ゆびさきが描く美しい軌道、世界でいちばん可憐なベビーフェイス、うふふって笑いかた、艶のある歌声、やる!と決めたことは必ず最後までやりきる強さ、
ぜんぶ、ぜんぶ、大好き。
この曲の意味がこんなにもはやく、二度と戻らない夏のキラキラに変わってしまうなんて思わなかった。
アイドルネッサンスは、経験してないはずの初恋を思い出して胸がしめつけられるような、人生の忘れものを夕暮れの教室へ取りに戻るような、そんな音楽と女の子たちでした。
レモンが弾けるような日々。
わたしの永遠に叶わない初恋は突然に終わりを告げました。
またね、って、思ってもいいのかなあ。
今はわからない。
だから。
さよなら。
ありがとう。